「名前の順の前と後ろ」7DⅢ

呉木(くれき)→スチューデントスタイルB♂
左浦弥(さうらび)→スチューデントスタイルB♀

 

 

呉木くんは、入学式で前の席だった。

呉木くんの成績は普通。体育が2で、国語が5だからインドアなんだと思う。
なんでそんなこと知ってるかって?呉木くんの通知表を見たことがあるからだ。
意地悪をして見たわけじゃない。呉木くんはうっかりやだから、貰ったばかりの通知表を教室の机に置いたまま帰ったりするのだ。
呉木くんは部活をしてない。入学してすぐに一緒に部活見学をしたことを覚えてる。呉木くんは人見知りだから、私が引きずって行ったのだ。
何日かして私が占い部とかいう変な部活の入部届にサインしてたとき、呉木くんは帰宅部でいいって言って入部届を捨ててた。
その日は日直だったから、ゴミ箱を袋の中にひっくり返してたら呉木くんの入部届が出てきた。美術部や文芸部やアナログゲーム部とか、色々なチラシが一緒に折ってあった。
やりたいことあるじゃん。そう思ったけど言わなかった。呉木くんのほっぺたにある絆創膏を見ても言えるほど、わたしは無神経ではない。

呉木くんとは一緒に帰ってた。占い部は土日にしか活動してない。それで、なんとなくそうなったのだ。
呉木くんはいつも同じ交差点でもういいよ。と見送ってくれる。1ヶ月くらいして、その交差点の先にぴかぴかの車が毎日迎えにきてることを知った。
それでも、一緒に帰ってくれてた。
呉木くんが風邪をひいて、宿題を届けることになった。
でも、本当は呉木くんの家を知らない。引き受けてしまったけど、どうしようかと考えているうちにあの交差点に来ていた。
交差点には、綺麗なお姉さんが立っていた。一目で、呉木くんのお家の人だとわかった。
ナミユキ様の御学友ですね。坊ちゃまがお世話になっております。
多分結構年上の、こんな綺麗なお姉さんに、様って。坊ちゃまって。
うちはそのへんの公立で、アニメによくあるリッチな生徒会とか権力者の風紀委員とか全然ない。
いいの?と面食らってるうちにお姉さんは私の持ってる宿題やプリントの紙袋に気がついてくれた。
お受け取りいたします、しかとお届けしますねと女優さんのような綺麗な声で言われて、はい、はい……とされるがままだった。
お姉さんはいつもの車に乗り込んだ。運転手がこの人だったんだ、そうぼんやりと思ってると夢みたいに走り去ってしまった。

呉木くんの風邪が治って、また一緒に帰ることになった。
本当はこわいお家の人に暗殺でもされるんじゃないかと思っていたけど、呉木くんは何も知らない様子でじゃあ帰ろう、と言ってくれた。
いつもの交差点についた。隠れて停まってる車の運転席をちらりと見ると、あのお姉さんが少しだけこちらを見て、微笑んだ。

左浦弥は、入学式で後ろの席だった。
一同、礼の繰り返しに疲れてきた頃、彼女は俺の肩をつついた。
虫がついてるよ。そう小声で言って多分てんとう虫か何かを指でつまみ取った。お礼を言おうと少しだけ振り向いた時、彼女はそのままてんとう虫を自然な動きでポケットに仕舞った。
他に置き場がないから?でも今日下ろした制服だし、と理解が及ばないままでいるうちに会がおわってしまった。
それからなんとなく左浦弥と話すようになった。左浦弥のてんとう虫の謎は遂ぞわからなかったけれど、あのくらいあいつには些細なことだということもわかってきた。
捕まえたバッタの分類を相談される。弁当の時間に奇怪な飲み合わせを提案されて自販機で買ったコーラと乳飲料を半々にして飲まされる。化石があると噂の河原に夕暮れまで石集めをさせられる。俺のやっているカードゲームのパックを棚一つ買って乱数を確かめようという提案は断固として拒否した。
占い部に入ったのも、興味本位で捕獲した生物とか石の使い道にしてくれるかららしい。

左浦弥とはいつも一緒に帰る。どちらからということもない。そしてそれは、憂鬱な時間の到来を引き延ばす悪あがきだ。
交差点に、家の手配した迎えがいつも待っている。ここより先はもうだめだ。
別れを惜しむこともしない。帰りたくないと思ってしまいたくない。
ただ、また明日と告げて信号を渡るだけだ。
迎えの運転手はヒイロさんのほうだ。交差点まで誰かと帰っていることは、ヒイロさんだけが知っている。家のお抱えメイドのヒイロさんは、俺より俺を知っている。

「左浦弥に彼氏ができたってよ」
いつも顔を伏せている休み時間、喧騒にそれだけは聞き取れた。
「可愛かったからな〜」「でもガード固かったイメージだけど」「そりゃあ……」
気がついたら上げていた顔が、噂話をしていた男子生徒達と目が合った。
「うーん残念だったな呉木。お前があれだけ騎士様してたのによ」
なんのことだ、と呆然としながら聞き返すと男子生徒達は当たり前のようにこう口にした。
「みんな左浦弥はお前と付き合ってると思ってたよ」

そんなこと、考えたことなかった。
友達は友達だったし、普通に女子だともちゃんと思ってた。左浦弥は友達も多いし、俺みたいな友達はいっぱいいるだろうと思っていた。
はじめて、一人で帰った。ヒイロさんは何も言わなかった。
自分の部屋で、一冊の絵本を開く。自家製本の角が擦り切れるまで読んだ本のページは、もはや捲らなくても目的のページがわかる。
赤い髪の少女が木になっていくシーンだった。白い花嫁衣装や髪が枝に巻き込まれ、一本の木になってしまう。
その木は毎年花をつける。白いドレスに紅を差した香り高い花が咲く。
そのページだけは、何度も何度も読んでいた。
これをくれた人は、それっきり会っていないから本当はどういう話なのかはわからない。
ただ、彼女にずっと恋をしていた。絵本の中の赤い髪の花嫁に。
その想いは、小さな頃からずっとそばに居るヒイロさんにも、グンジョウさんにも明かしたことはない。
左浦弥も、誰かに恋したのだろうか。

しばらく経った。俺はグンジョウさんの淹れたお茶をいつものように飲んでいた。
ヒイロお姉様のご用意したスコーンがとても美味しくて、とグンジョウさんが自慢げに紹介してくれているのを聞いていると、ヒイロさんが手招きした。
「こちらは、坊ちゃまへの差し入れだそうです」
小さなメレンゲ。抹茶味のようなグリーンの菓子が菓子店の包みに入っている。
きょとんとしていると、ヒイロさんが声を潜めて悪戯っぽく囁いた。
「わたくしと左浦弥さまはお茶会仲間ですの」
動揺して立ち上がったところでグンジョウさんがなんですのなんですのお姉様の秘密事なんて羨ましいのですと騒ぎ始める。ヒイロさんはグンジョウさんを諌めながら次のお茶の用意に戻った。
よく見ると、菓子店の包みにマジックで何か書いてある。
『呉木くんがいないと一緒にウミウシを飼ってくれる人がいないよ』
笑っていいのか、なんというか。
口角が上がったままメレンゲを口に入れて……机に突っ伏した。
これ、パクチー味だ。