視線はずっと、感じてた。その丸い目が、いつも世界から虐められてるような目が、ぼくに向けられる時だけ少し澄むのを知っていた。
ぼくの世界は、学校にないことなど知っていた。世界から虐められているのはぼくも同じで、ただぼくはその世界に唾を吐くだけの元気があった。
面白い奴、って思った。ぼくの何がいいんだと思った。ただのゲイ趣味にしても、ぼくを選ぶなんてタチが悪いと思った。
ぼくは高校生の今に至るまで、女性に性欲も、恋愛思考を抱かなかった。けれど、男湯に興奮したりもしないし、まあ興味がないのだろうと思った。
そういう人も、世の中にはいるらしいので。
ただ、一つだけ心の隅には……中学の時の学生服より、今の高校のブレザーの方が気楽だという感覚があった。
ネクタイはしない。そんなに校則が厳しくなかったし、そこだけは居心地が悪かった。それ以外は許せた。
それが次第に、パステルカラーの色味の小物を選ぶこととか、柔らかな生地を選ぶこととか、そういったことに気づいてきた。
オカマみたいな奴。そう自覚してから、意識的にそういうキャラを作るようになった。
所謂、乙女系な男子とか、そういうやつだ。
家で料理をするような話をしたり、何かを溢したクラスメイトにさっとハンカチを差し出したり。
そんなこと、興味は本当はなかった。
かわいいものが好きだった。女子の制服が着たかった。でも、そっちの趣味だと誤解されたら爪弾きに遭う。
だから、先手を打ったのだ。女子に優しい、女子の気持ちがわかる、乙女系。
だから……上背もあるし、体格もしっかりしてる、いかにも男の姫城の視線に気づいた時は正直迷惑だった。
冗談が通じる奴なら、漫才コンビのように夫婦キャラでもやってやるかなんて思ったりもしたが、地味な堅物くんだ。
気の間違いだよ、顔だけしか見てないでしょ。そう、伝えてやろうと思った。
「ねえ」
「その難しそうに読んでる本。面白い?」
煽ってやって、ムカつくやつだと思わせて、乙女ちゃんとは違うことを見せてやろうと思った。
でも。
姫城のはっと上げた顔が、血が巡ったように頬が染まり、目に光が差した。
それは混乱と、照れと、……恋をしている顔。
正直、少し面食らい……そして、沸いてきたのは。
この男のことが知りたい。できるなら、そんな顔をさせるだけの気持ちをぼくのどこに抱いてるのか知りたい。なんなら顔でもいい。顔ならある程度手入れもしているし、納得できる。
ガラスの向こうの子犬を、お前にすると指差したかのように。
この男に、餌をやろうと思ったのだった。
餌をやり始めてから……定期的に話し、同じ目標を設定し、隣に居場所を置くことを始めてからも。
その光と熱の温度は変わらなかった。
冗談めかして手を握ると唇がきゅっと閉じられるし、目を合わせて微笑むと慌てて目を逸らす。
耳まで紅く染まった姿は、純情青少年そのものだった。
そんなぼくたちの姿を、周囲は概ね傍観していた。
姫城はもともとクラスで地味だったし、ぼくもそれまでのキャラが功を奏して地味な奴の面倒見で付き合いが悪くなった。その程度だ。
「皐月乃先輩、楽しそうですね」
そう、過去に入っていた部活の後輩に一度だけ言われたことがある。
「姫城先輩、おうち大変って聞いて……皐月乃先輩が一緒にいるようになってから、明るくなったって聞きました」
「陸上部、辞めてから……皐月乃先輩、趣味まで変わったのかなって思ったので」
「姫城先輩のためだったんですか?」
答えに窮した。陸上部を辞めたのは、身体が変な病気に……人には治せない、未知のウイルスらしい、それにかかってスポーツを禁じられたからだ。
それに、身体の線が出る陸上のユニフォームはずっと気に掛かっていた。ジャージで練習できる時期ならともかく、大会に出ないかと言われるたび気が重かった。
「そんなことはないよ。卒業より少し早く、就活する仲間がいただけ」
そう答えながら、姫城のため、か……と後輩の言葉を反芻していた。
姫城は、ぼくのことが多分好き。あれは恋愛感情のある目だ。
ぼくは、姫城を好きになっているのか?
……初めてのバイトの賄いを二人で食べたとき。あいつは笑った。
家の外で食べる飯は、こんな旨いのかと笑った。
皐月乃と食えてよかったと笑った。
その笑顔は……純粋な、温かな、愛情だった。
ぎり、と心臓が握りつぶされた。
あんなに純粋な人は、もっと、もっと、真っ当に愛してくれる人に愛されるべきだ。
素敵なお嫁さんを貰って、顔の似た子を授かって、暖かな家庭を築くべきだ。
……初めて、女性に生まれたかったと願った。
……彼を、姫城をありふれた幸福に立たせたいという願いと、その隣にいたいという欲求。
紛れもない、恋の自覚と、最初の失恋だった。